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web標準とは何か?

第1話 暦の歴史・前編-エジプト太陽暦からユリウス暦、アウグストゥスの改暦

web標準とは何か?

The Web Standards Project(WaSP)の主張(1)によれば、「(X)HTML、XML、CSS、DOMというW3C勧告とECMA ScriptというECMA規格」というのが、web標準の1つの説明となる。

このWaSPの主張は2002年になされたが、それから10年が経ち、日進月歩とも言うべきITの世界は現在進行形で姿形を変えてきた。webもそのご多分に漏れず随分と姿を変えたと言っていい。Facebookやmixiなどに代表されるソーシャルネットワークという概念はかつてなかったし、Youtubeやニコニコ動画といった動画サービスで気軽にストリーミングできるなんて夢にも思っていなかった。また、Internet Explorer対Netscape Navigatorというブラウザ戦争は遠い過去のものになった。Netscape亡き後、その遺伝子を引き継いだMozilla Firefoxに代表されるGecko、GeckoのようなWebkit―Google ChromeとSafari―AndroidやiPhoneという携帯機器、ゲーム機などの組み込み機器で存在感を示すOpera、web標準準拠を強く意識した生まれ変わりつつあるInternet Explorerというような複数のwebブラウザがwebの進化を促すという10年後を、誰が予想しただろうか。

狭義のweb標準としては、WaSPの主張を受け入れればいいのかもしれない。しかし、先に述べたようにここ10年においてwebの世界は激変しており、現在もその変化はとどまるところを知らない。web標準とは何なのか、という疑問に対して安直な答えを導くことなく、そもそも標準とは何なのか、webとは何なのかという原点に立ち返ってweb標準を考えてみるのも悪くないだろう、というのがこの文書の趣旨である。

標準と標準化

多少なりとも標準という言葉に興味があるならば、先に挙げたW3CやECMAという単語を見聞きしたことがあるという読者も多いだろう。あるいは、一般にはISOのほうが有名かもしれない。これらW3CやECMA、ISOは、その生い立ちや役割の差はあるが、一般に標準化団体と呼ばれる。標準化団体については後で詳しく触れることにする。

さて、標準ないし規格とされる技術仕様を作る過程を標準化という(2)が、標準化の歴史を紐解くと、最初に暦の発生があり、次に単位の発生があったという(3)(4)。そこで、標準あるいは標準化というものを考えるにあたって、まずは暦の歴史について見ていくことにする。

暦(こよみ)とは何なのか。Wikipediaによれば、

暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。(5)

とある。図1に典型的なカレンダーを示すが、我々はこのような西暦何年何月何日、何曜日というものを特段意識することもなく、当たり前のように受け入れている。だが、標準化という観点から、このような暦、とりわけ図1のようなカレンダーを構成するものがどのようにして成立したのかというところにスポットライトを当ててみよう。

図1 典型的なカレンダー(Googleカレンダーのスクリーンショット)

年と月、日の定義

暦の歴史をさかのぼる前に、ここで年・月・日の定義を確認しておこう。筆者の手元にある国語辞書(6)に載っている意味としては、年は「時間の長さの単位で、地球が太陽を一周する時間」、月は「一年の十二分の一〔=約三十日間〕(を単位とした時間の長さ)」、日は「朝、太陽が出て、次の朝に出るまでの間(を単位とした時間の長さ)。一日。一昼夜。」とある。これらを天文学において単位として考えるとき、それぞれ太陽年、朔望月(さくぼうげつ)、太陽日と呼ぶ。

一太陽日とは、太陽の南中(真南に来ること)から次の南中までの時間である。その長さを測るには、たとえば地面に垂直に立てた棒の影を観察するとする。この影が一番短くなるときが南中であり、その観測地点においての正午となる。これを精密に測れば一太陽日の長さがわかる。 一朔望月とは月の満ち欠けの一周期である。これは月の観測から直接わかる。ちなみに、朔望の朔は新月、望は満月の意味である。 一太陽年とは黄道(天球上の太陽の通り道)上で太陽が同じ位置に戻る周期である。たとえば日の出や日の入り直後で明るい星と太陽の位置関係を用いることでかなり精密に測定できる。

現在の観測の結果と定義は次のとおり。

エジプトの太陽暦

暦には、太陽暦、太陽太陰暦、太陰暦の3種類が存在する。これは、暦の基準を太陽と月のいずれかをとるかという問題であるが、ここではその仔細には立ち入らない。我が国はかつて太陽太陰暦を用いていたが、明治維新の直後に太陽暦である西暦を導入することになる。そこで西暦の直系の親にあたる太陽暦について、歴史を遡ることにする。

太陽暦を採用した古代文明はいくつか存在し、一部で騒がれたマヤ暦もそのうちの1つであるが、西暦の元となったのは古代エジプトの太陽暦である。今から約6000年前、一説によると紀元前4241年には、古代エジプト人は年と月という概念を観測によって知っていたらしい。30日を1月とし、12ヶ月を1年とした。そして年の終わりに5日を加えて、1年を365日と定めていたという。

「エジプトはナイルの賜物」というギリシアの歴史家ヘロドトスによる有名な言葉のとおり、古代エジプトはナイル川とともにあった。ナイル川は毎年氾濫し、洪水期、播種期、収穫期という季節に分けられた。この季節を知るために、太陽の次に最も明るい恒星であるシリウスを用いた。シリウスが登場する時期は、たまたま毎年ナイル川が氾濫する時期に一致していたのである。シリウスが日の出の直前に昇る、ヘリアカル・ライジング(Heliacal rising)をもってエジプトの元日とし、盛大に祝ったという。

古代エジプトの天文学者はヘリアカル・ライジングを正確に測るうちに、太陽年は365日より1/4日長いことに気づいたが、エジプトの神官は1/4日修正することを拒んだらしい。暦は神聖だから変えることはできないと考えていたようだ。そのため、エジプト暦は1460年を周期として丸1年という、ゆっくりとしたズレを引き起こした。この周期はソティス周期と呼ばれ、紀元前238年にプトレマイオス3世が4年に1度、余分の1日を加えるという閏年方式を定めるまで修正されることはなかった。

ユリウス暦

紀元前46年、ユリウス・カエサルの手によって、それまでローマで用いられていたヌマ暦と呼ばれる暦を廃止し、エジプトで用いていた太陽暦を採用することとなった。

それまでのヌマ歴では、暦年をおおむね季節と揃えるために、神官によって臨時の日や月を加えることになっていた。しかし、ローマの神官は自身の借金の返済時期を延ばしたり、政敵の任期を短くするというように、故意に暦を操作したために暦は乱れたという。ところで、紀元前52年にカエサル自身も神官の地位に就いており暦を知る立場にあったが、紀元前48年にカエサルは政敵ポンペイウスを追ってエジプトに渡ることになり、ここでエジプトの太陽暦を知ることになる。

カエサルは、しきたりで3月25日に来ると考えられていた春分の日に暦を合わせるために、紀元前46年、11月と12月の間に33日の月と34日の月という臨時の閏月を置くことを命じた。紀元前46年の日数は、2月にすでに置かれた閏月と合わせて445日という異常な長さになった。カエサルはこの年を「最期の乱れた年(ウルティムス・アヌス・コンフジオニス)」と呼んだ。他の人はただ「乱年」と呼び、年が長くなったことだけでなく、カエサルの政策による混乱のことも指していた。

そして、この独裁官カエサルに反感を抱く者たちによって、紀元前44年に暗殺されることになる。「ブルータス、お前もか」。

しかし、後にパスク・ロマーナと呼ばれるローマ帝国の絶頂期を、神官の気まぐれで暦が変わることのないユリウス暦が支えたことは間違いないだろう。1453年にコンスタンティノープルが陥落し、直系のローマ帝国が滅亡した時代においてもユリウス暦は生き残っている。1517年のマルティン・ルターによる95か条の意見書を口火とした宗教改革、それに対するカトリック教会による対抗宗教改革という流れの中で、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良してグレゴリオ暦を制定するまでずっと、ユリウス暦はローマで使われ続けていた。

月の名前の由来

さて、今日のグレゴリオ暦が制定される経緯に触れる前に、ここで今日の英語の月名の歴史に触れたい。

カエサルがユリウス暦を制定する以前のローマ暦は、伝説によると神話上のローマ初代の王ロムロスによって、紀元前735年に作られた。しかし、たいていの月に基づく暦と違って、10ヶ月しかない合計304日を1年としていた(表1)。

表1 ロムロス暦
1年304日
1月Martius31日
2月Aprilis30日
3月Maius31日
4月Junius30日
5月Quintilis31日
6月Sextilis30日
7月September30日
8月October31日
9月November30日
10月December30日
11月-
12月-

この10ヶ月を1年とした理由には諸説あるようで、農耕のための暦で農作業のできない時期には意味がないからとか、妊娠期間が十月十日であることから、古代ローマ人が10という数字を尊重したことから、両手の指が10本だからだとか言われているようだが、はっきりしたことはわからないらしい。

ロムロス暦では、第1月から第4月までの月は、ギリシャ神話の神々の名にちなんでいるという。第1月は軍神Mars(マルス)にちなみMartius(マルティウス)、第3月は豊穣の神Maia(マイア)にちなみMaius(マイウス)、第4月は母なる結婚の神Juno(ユノー)にちなんでJunius(ユニウス)と名付けられた。第2月のAprilis(アプリリス)は語源が不明だが、ギリシャ神話の美の神Aphrodite(アプロディーテ)とする説もある。

一方、その後の第5月以降はラテン語の序数詞を用いて、第5の月、第6の月…第10の月というように命名された。ラテン語ではそれぞれQuintilis(クィンティリウス)、Sextilis(セクスティリス)、September(セプテンベル)、October(オクトベル)、November(ノウェンベル)、December(デケンベル)となる。

表2 ヌマ暦(太字はロムロス暦からの変更)
1年355日
1月Martius31日
2月Aprilis29日
3月Maius31日
4月Junius29日
5月Quintilis31日
6月Sextilis29日
7月September29日
8月October31日
9月November29日
10月December29日
11月Januarius29日
12月Februarius28日

紀元前710年、ロムロスの後継者であるヌマ王によってヌマ暦が定められた(表2)。これはロムロス暦にJanuarius(ヤヌアリウス)とFebruarius(フェブルアリウス)という2つの月が加えられたものである。これにより、1年が354日という標準的な太陰暦になるのだが、偶数を嫌うローマの迷信のためにヌマ王はもう1日加えたという。また、極力偶数を排除するためだろうか、ロムロス暦で30日の月は全て29日とし、新たに設けた第11月と第12月をそれぞれ29日と28日とする、という操作を行った。

ローマ人は多分にギリシア人の影響を受けていたが、ギリシャ人も同じ考えを持っていたらしい。哲学者のプラトンは、「奇数は、天上界の数で神聖であり、幸をもたらし、偶数は地上界の数で俗数であり、不幸を運んでくる」と言い、数学者のピタゴラスも、「奇数は善であり、直にして動、天の性質をもつ男性的な数であり、一方、偶数は悪で、曲にして静、地の性質をもつ女性的な数である」と言ったという。

ヌマ暦ではロムロス暦と同じく年の初めをマルティウスとしていたが、紀元前153年にヤヌアリウスを年の初めの月とする暦に変えられた。これをヌマ暦の改革という。もっとも、この改暦はうまくいかなかったらしく、最終的にはカエサルの命によってこの年初はようやく固定されたようである。

ヤヌアリウスという月名は、ローマの戦神Janus(ヤヌス)をたたえて命名されたという。ヤヌスは行動のはじめを司る神でもあったため、このヤヌスの月が年初として最も相応しいとされたのだろう。

また、フェブルアリウスという月名は、清めの供物という意味のラテン語Februa(フェブルア)に由来するという。これは、ロムロス王時代のサビニ戦争でローマの犯した罪を償うことにちなんでいるとされる。

こうしてもともと年末にあった第11月、第12月が年のはじめに割り込んだたため、第1月以下が2ヶ月ずつ繰り下げられることになった。これに連動して、第7月から第10月まで(SeptemberからDecemberまで)も2ヶ月ずつずれることとなる。これらの月名が、英語を始めとするヨーロッパの言葉の中に生き残ることになった。

表3 ユリウス暦(カエサルによる改暦直後)
1年365日
1月Januarius31日
2月Februarius29日
3月Martius31日
4月Aprilis30日
5月Maius31日
6月Junius30日
7月Quintilis31日
8月Sextilis30日
9月September31日
10月October30日
11月November31日
12月December30日

紀元前46年にカエサルは、奇数月を31日とし、偶数月を30日としたユリウス暦を定めた(表3)。偶数日を忌み嫌うローマ人の風習を打ち破って30日の月を作ったのは、独裁者カエサルならともいえる。ただし、もともと日数の少なかった2月は少ない月として据え置かれ、29日と定められている。

カエサル自身は月の名前を変更することはなかったが、後に元老院が第5月の名前をクインテイリウスからJulius(ユリウス)に変更している。

アウグストゥスの改暦

カエサルの死後、ローマの神官たちは閏年を4年ごとではなく3年ごとに入れるようになった。これは「4年ごと」という意味を、ローマ流にその年も勘定に入れて考えたために、実質的に「3年ごと」という解釈をしたために起きたと言われる。

この間違いは、カエサルの妹の孫にして、ローマ初代皇帝アウグストゥスが紀元前8年に気づいたという。もともと暦日と季節とが正しく合っていたユリウス暦は、30年の間に3日の余計なズレが生じていた。そこで、紀元前6年から紀元後4年までの10年間に3回閏年を省略し、さらに紀元後8年からユリウス暦の規定通り、「4年ごと」に閏年を置いた。

こうして暦日は再び太陽の運行と一致するようになったが、アウグストゥスも改暦を行うことになる。

ユリウス暦を見ると、7月にはカエサルの名前ユリウスが付けられている。それにあやかってアウグストゥスも暦に名を残そうとしたのか、トラキア、アクティウムの戦いに勝利を収めた第8月(セクスティリス)の月名を、戦勝記念にAugustus(アウグストゥス)と改名した。

また、皇帝である自分の月が他の月より日数が少ないのは皇帝の権威に関わるということで、8月を31日に格上げし、代わりに2月を28日とした。そうすると、7月、8月、9月と31日の月が3ヶ月続くようになってしまう。そこでアウグストゥスは、7月がユリウスの月、8月は自分の月ということで手を付けず、以降の月で大の月と小の月が交互に来るよう、9月を30日、10月を31日、11月を30日、12月を31日と1日ずつ増減した(表4)。なお、表4の太字は表3からの変更点である。

表4 ユリウス暦(アウグストゥスによる改暦)
1年365日
1月Januarius31日
2月Februarius29日
3月Martius31日
4月Aprilis30日
5月Maius31日
6月Junius30日
7月Julius31日
8月Augustus31日
9月September30日
10月October31日
11月November30日
12月December31日

こうしてアウグストゥスの手により奇数月が大の月という原則は破られ、大の月が西向く侍(二四六九士)という、現在と同じ月の日数が確定した。

第2話につづく。