暦とは
この章のタイトルにある暦(こよみ)とはどういったものでしょうか。Wikipedia[1]によれば、
暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。
とあります。図2-1に典型的なカレンダーを示しますが、私たちはこのような西暦何年何月何日、何曜日というものを特段意識することもなく、当たり前のように受け入れています。このような暦、とりわけ図1-1のようなカレンダーを構成する日付(年・月・日)それから曜日について、暦のはなしの前編としてスポットライトを当てたメモを記しておきます。時刻(時・分・秒)については後編として触れることにします。
年・月・日の辞書的な意味
年・月・日の意味について辞書的な意味をメモ。筆者の手元にある新明解国語辞典[2]には、それぞれ次のように記載されています。
- 年 時間の長さの単位で、地球が太陽を一周する時間。
- 月 一年の十二分の一〔=約三十日間〕(を単位とした時間の長さ)。
- 日 朝、太陽が出て、次の朝に出るまでの間(を単位とした時間の長さ)。一日。一昼夜。
暦に関する資料について
- 暦に関する全般的な図書等は、国立国会図書館サーチ リサーチ・ナビの国立国会図書館所蔵の古暦[4]にだいたいの資料がまとまっています。
- 特に暦の天文学的な説明は、国立天文台 暦計算室の暦Wiki[3]にまとまっています。
- Wikipediaの記事。
- 日本語版のグレゴリオ暦と、グレゴリオ暦を導入したグレゴリウス13世 Gregorius XIII(1502 - 1585)の記事。
- 英語版のグレゴリウス13世の勅書Inter gravissimasの記事。Referenceにラテン語で書かれた原書アーカイブへのリンクがあります。
古代エジプト暦について
古代エジプト史
- エジプトに限らず、通史として気軽に入手できるものとしては、新 もういちど読む山川 世界史があります。
- 古代エジプトの年表としては、日本語版WikipeiaのTemplate:エジプトの歴史やEncyclopedia Britannicaのancient Egyptで俯瞰できますが、学者によってかなりの違いあるようです。
- 検証可能な日付として合意が取れているのは、第26王朝(サイス朝などとも呼ばれる)のプサムテク1世 Psamtik I(在位 664 BCE - 610 BCE)の即位した紀元前664年とされるようです。これ以前の日付については、論争の的であり、議論の余地があるようです。
- ちなみに、プサムテク1世の即位は、WikipediaやBritannicaでは紀元前664年となっていますが、World History EncyclopediaのThird Intermediate Period of Egyptでは、c. 665 BCEとされています。
- 2010年に出版されたRadiocarbon-Based Chronology for Dynastic EgyptというScience誌の論文[6]は、放射性炭素年代測定で古代エジプトの王朝時代の年代特定を試みたものです。科学的な最新のデータと思われます。Research Gateで入手可能です。
- Table 1では、ShawとHornung et al.との比較がされています。前述のScienceのサイトで入手できるSupplementary MaterialのTable S8では、Table 1に載らなかった他のファラオの結果も載せられています。
Ebers Calendar
- 概略は、ドイツ語版Wikipediaに(だけ)あるEbers-Kalenderの記事を参照。
- M. Christine TetleyのThe Reconstructed Chronology of the Egyptian Kings[7]が詳しいです。
- この書籍のPDFはかつてhttp://www.egyptchronology.com/で入手可能でした。(今はドメインが失効しているため、リンクはWayback machineです)。
- サイトがアクセスできた当時の(分割されていた)PDFは、どういうわけかhttps://www.ancientportsantiques.com/から入手可能です。Volume One、Volume Two。
- SYNOPSISのページがありました。
- M. Christine Tetleyは博士(神学)であり、歴史の専門家というわけではありません。
- 2014年の資料で、かつ(今はWayback machineだったりミラーだったりしますが)インターネットで入手できる、エジプト学の軌跡をなぞることができるまとまった資料だと思われます。ただし、彼女の年代推定は広く認められている推定と大きく異なるため、結果を採用するのは不適切である点に注意です。
- The Reconstructed Chronology of the Egyptian Kingsがどういう書籍なのかは、この書籍の前の書籍に当たる、The Reconstructed Chronology of the Divided KingdomのSteven L. McKenzieによるレビュー記事Review of M. Christine Tetley, The Reconstructed Chronology of the Divided Kingdomから伺い知ることができます。
曜日について
- だいたいのことは、日本語版Wikipediaの曜日の記事にまとまってます。
- 七曜(日月火水木金土)について、日本に限った話として、前述のWikipediaから辿れる作花一志の資料[8]に概略があります。
- 『七曜日における伝統から近代からの軌跡』[9]では、明治よりも前に、蘭学の影響があったのではないかとしています。
- 空海(774-835)が持って帰ってきた“宿曜経”に七曜が今の並び順と同じ順序で載っています
- 空海が唐から日本に持ち帰ったものをまとめた、御請来目録に宿曜経が記載されています(コトバンクの請来目録も参照)
- 空海の御請来目録は、たとえば京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 御請来目録で見ることができます
- 宿曜経は、『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善惡宿曜經』というのが正式名称です。SAT大正新脩大藏經テキストデータベースからたどれるSAT大蔵経DB 2018で「七曜」を検索すると、テキストを読むことができます。
- ただしWikipediaの宿曜経の記事曰く、インドの原典があるのかは疑わしいらしいです
- 宿曜経を唐に将来したのは不空金剛(不空三蔵)とされます。宿曜経についての直接の答えはありませんが、不空三蔵の訳経活動をめぐる一考察という論文[10]があり、これがヒントになるかもしれません。
- 藤原道長(966-1028)の『御堂関白記』に二十七宿とともに七曜が記されており、これも同じ並びです。
- 御堂関白記は、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。
- 具注暦が密教の影響を受けていると見てよいかと思われます。
- 国際日本文化研究センターの摂関期古記録データベースでテキストを読むことができます。
- 時代が下って、室町、江戸時代あたりは暦によって1日ごとに曜日が付けられていないように見えます
- 日本全国の地方暦 その1でざっくりと見ることができます
- ただし朔日の曜日は見えるようですので、曜日の概念が完全になくなったわけでもなさそうです
- 日本では昔から、1週を7日とする慣習があったわけでもなさそうで、明治の改暦を契機に曜日と1週間=7日(今の七曜)が根付いたとされます。